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江東かわかみ君のブログ

コロナ禍暇つぶしの日々日記

足尾銅山・・・その弐

カブ旅を通して足尾銅山の歴史に触れてから、様々なYoutube動画やブログ等々を目にしてきたが、足尾鉱毒情報の多くは、足尾から流れ出た汚染水被害が、渡良瀬川流域を汚染した話がほとんどである。足尾で生活する人々の実態(人害)を描き表した記録は、ほとんど目にしない。

 

 

一部のスクショを残すが、もう少し探求してみる。

 

鉱毒
鉱山の排煙、坑内水、選鉱・製錬所廃水や、ぼた山、廃滓(はいさい)の崩壊などにより流出した毒物で生ずる害と云われています。
 銅・鉛・亜鉛ヒ素・硫化鉱鉱山で、亜硫酸ガスによる人畜、農作、山林などの受ける煙害、廃水中の酸性物質、重金属紛などによる河川・海の水質及び魚介類の汚染で生ずる人畜、水田、水産資源などの被害が主な鉱毒とされている。
煙害
銅の製錬は、銅鉱石を火で蒸し焼きにして硫黄分を取り除くことから始まります。
 鉱石を蒸し焼き(焙焼:ばいしょう)にすると鉱石中の硫黄分が酸素と結合して亜硫酸ガスが発生します。亜硫酸ガスは空気中に放出され、このガスが植物に触れると植物が枯れ、農作物などにも被害が起こります。
 足尾銅山の銅鉱石は特に硫黄分が多く含まれており、より多くの亜硫酸ガスが発生し、山中での焙焼によって山の草木が枯れ、一面山肌が現れてしまいました。

 

 田中正造が明治32(1899)年3月6日に提出した「第13議会足尾銅山鉱毒事変再質問書」の中で述べている調査結果によれば、最も被害が激しかった安蘇郡植野村字沼畑(現栃木県佐野市)という戸数45、人口320余人の村で、明治30(1897)年の出生者5人に対し死亡者9人(うち2歳以下のものが5人)、翌年は出生者6人に対し死亡者19人(うち2歳以下のものが15人)という状況である。
 その割合を見ると、人口100人に対し出生者は被害激甚地げきじんちで1.85人、隣接の無害地3.44人、日本全国3.08人。死亡者は被害激甚地で5.875人、隣接の無害地1.92人、日本全国2.20人で、しかも死亡者は胎児たいじや乳幼児に集中的に現れており、その示す数値は日本全国平均と比較しても著しい差が見られる。

[明治35(1902)年6月21日、万朝報]=要約

 

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nimura-laborhistory.jp

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では・・・再見❗

 

 

 

追記:

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