>|| ||<

江東かわかみ君のブログ

コロナ禍暇つぶしの日々日記

Amazon Drive 終了・・・思い出写真

その昔、GooglePhoto/AmazonDrive/AmazonPhoto ・・・ と様々なCloudサービスが存在してたが、何処もサーバー保持困難❓で廃止に追い込まれつつある。

 

そんなAmazonDriveが2023年12月で廃止になる通知が届く。

 

ここも一時期、Prime 会員は、容量無制限だった記憶。とっくの昔にアップロードを止めている。気になって数多い写真をめくってみた。

 

 

 

とても懐かしい写真の数々、うん時間も眺め続けた(笑)

 

 

 

その一部・・・①

これ中国の古来から伝わる万病に効く❓と云われてる吸引治療。ほとんどの按摩屋に、このメニューがある。握り拳大きさ(大小)の円球状ガラス内部をアルコール炎で少し炙って加熱、直後、肌に押しつけると熱効果で肌が吸引する。場所によってはピンポン球ほどにも膨れ上がる。慣れぬと痛みが伴うが、慣れると快感(笑)

時間にして、熱が冷める10~15分程度保持。取る時、パッカ~ン音が鳴る。

筋肉や直下の内臓等々、その箇所に何か問題があると、赤く跡が残る。と云われる。

酷い時は、箇所が斑点状に「水ぶくれ」状になり後々まで、「痛み」「痒み」が残る。

この場面は、背中全体を行ったが、肩~腕辺りにすると、夏場、半袖口から、赤く残った跡を恥じらいも無く隠さず歩く女性❓も多い。

 

 

 

その一部・・・②

ご覧なってすぐに判ると思うが・・・炊飯器の「取っ手」が折れてしまった。

特別、落下させたわけでもない・・・数年経過で折れた。

写真日付は、2015年をある。まぁ確かに格安品を購入してるが、中国駐在十余年の生活では、この様な信じられない製品の劣化による故障、破損は日常茶飯事だった。特記すべきは、会社賃貸事務所の天井照明の蛍光灯の「グロー管」「蛍光管」「壁スイッチ」の類いは、ほぼ毎週❓毎月❓天井の何処かが消えていた。賃貸アパートにしても同様である。

当地の社員達、それが文化なのだろう・・・折角,電気掃除機を数台も用意して毎週月曜朝が清掃タイムと決めてたが、社員達は、水拭きモップを使う。そのモップの先が頻繁に「折れる」も日常だった。

 

 

その一部・・・③

2014年の写真日付。今じゃ世界市場を制覇する「DJI」まだ世に出てなかった。

中国通販サイトで購入(10万円弱)したドローン。購入するも飛行精度が悪く安定しない。何度かアパート近くで練習。とある日、近郊の星海广場(アジア最大の面積誇る広場)へ出かける。羽を廻し始め・・・あっ~との間、数分で東シナ海のモズクと化してしまったガジェット。

 

 

その一部・・・④

何度も通う・・・とある日式居酒屋でご一緒する出張者のフレンド❓何度か居酒屋で杯を交わしてる。よくよくお話しを聞くと、プロとして様々なイベントで「へびオンナ」を演じる芸人。アパートに遊び来れば「ヘビ」抱かしてあげる・・・甘~いお誘い・・・ご丁重にお断りしたが、その彼女、我が大連公司の忘年/新年会イベントに呼ばれたく、営業力も素晴らしかった。その営業でもらった写真。

 

 

その一部・・・⑤

2015年7月とあるメモ写真。シゴトが空いたその週、社員が休暇を申し出た・・・故郷へ行くと・・・ならば私も運転手で同行する。姉の家族と母親も同席。その距離、片道1.329km離れた内モンゴル自治区「扎蘭屯」なる田舎街。朝5時に大連市内を出発~夜21時、現地到着。行きは姉の旦那と運転交代。現地、数泊して帰りはひとり運転。

道中、泣かずの元気な幼子だった。

 

東京から鹿児島まで・・・1,363Kmとある。

 

 

その一部・・・⑥

写真から何だかお分かりでしょうか❓

これ中国楽器「二胡」の「弓」。弓は、竹製、長さ約70㎝❓ほど。竹だから「節」が途中にある。その「節」が何処に位置するかによって値段(音色❓)が異なるそうだ。中国駐在十余年は、メインの仕事は、情報処理業だが、「中国物産館」なるネーミングで中国国内、様々なガジェット系を仕入れて日本国内へ販売する小遣い稼ぎもやってた。

この「二胡」楽器の関連グッヅも結構な利益、長~く続いた。

薬事法や商品安全法など引っかかって日本で輸入出来ないグッヅは、ハンドキャリーで運んだ。とある口腔衛生器具は、EMSで送るも薬事法で配達できず中国まで戻される経験も何度か・・・この返送の際の運賃は無料・・・結局、この器具、名称を変え「ベアリング掃除具」説明写真も同封してEMS発送すると・・・無事に通関。

今じゃモバイルバッテリもダイソーで安く買える時代だが、その昔、出始めの頃、相当量を日本へ発送した。この充電バッテリが航空法規制で正規発送は受け付けられぬ事態。都度、深圳市内の業者へ国内発送して、香港空港では航空便で発送出来る。おかしな仕組みを何度も経験。ただバッテリは重量もあって運賃、結構高かった思い出。

2011の大震災の時、私は、インターネット生中継で状況を眺めていたが、その後、数週間過ぎた頃、とある友人から「何チャラ鉄板材」をロール単位で調達して欲しい。との依頼。聞けば「仮設住宅」の屋根材が不足。あらゆる手段を用いて様々な業者に連絡するも、すでに大手商社が先回りしていて、ほぼ入手は困難だった。

そうそう・・・棺桶ビジネスもあった・・・大連近郊の生産業者へも何度も訪れてる。中国で生産される棺桶は、安いのだが、日本国内には、冠婚葬祭業界の仕来りがあり、繋がった業者から仕入れなければ仕事が出来ぬ環境があった。

国際結婚ビジネスのお手伝いも経験・・・

コロナ禍でこのビジネス、ほぼ消えかかってると聞いてるが、中国から日本居住を夢見る乙女は多い。正規の国際結婚もあれば、偽結婚契約も存在する。希望者を募集して某ホテルに集合して、写真撮りは私の仕事だった。東南アジアからは、いまでも存在するが「業務研修」と称する外国人労働者の斡旋世界にもチョッカイした事がある。この世界も893・・・なまこ世界も893・・・怖~い業界だった。

 

 

その一部・・・⑦

この北米マップ、2002年頃、会社起業して景気も良かった時期、米国の写真展示会視察(オーランド開催)へ当時大学生の息子を引き連れて出張。ロスでレンタカーして、ほぼ5000Kmを走り大西洋に着いた。そのルートマップ。毎日、行く先に「アテ」も無く、ただ東・・・東・・・へ走る。早朝出発~夕陽が落ちる頃、モーテル宿泊。一週間にドライブ旅。ロス~グランドキャニオン~モニュメントバレー~フォークロス(4州境)~サンタフェ~テキサス~ダラス~ニューオーリンズ~オーランド



 

その一部・・・⑧

この写真も思い出深い1枚。日付は2015/08/15。お盆休み期間中。大連駐在、最後の一年間は、開発区内のアパートに住んでいた。そこを仲介した不動産屋、日本語学び中の母さん・・・時折、近づいて来ちゃ日本語Lesson・・・その母さん、故郷で離婚裁判が突然、明日に決まった。帰る足が・・・とアッシー祈願。「鳳城市」距離330Km。結構な田舎街だった。深夜の高速道路「鳳城市」出口看板を見落とすと、次のIC迄が遠~い。滞在宿の前にあるこんな屋台で朝飯・・・夕飯・・・これが結構、旨いのである。離婚する旦那にもお会いする。その数ヶ月後、Wechat で無事に離婚できたと知らされる。



その一部・・・⑨

これ日付、2012/02/21 とある。雪が降って地下駐車場に入ったイチマイ。

ワイパーで弾かれる「冬期暖房 石炭燃料の産物」雪降ると一面銀世界の美しさは万国共通だが、こちゃら・・・融雪した跡が凄い・・・まるで「墨汁」をまき散らした状態。会社のフロアにゃ雑巾が列を成して並ぶ。のである。

 

 

まぁまぁ・・・思い出写真は、まだまだあるが・・・この辺りでお開きとします。

 

またチャンス作って・・・第二版

 

では・・・再見❗